1993年にスタートしたJリーグでは、様々な特徴を持つストライカーがゴールを奪い、得点王に輝いてきた。Jリーグ得点王の活躍を振り返る連載の第2回は、パワフルな左足で得点を量産したオッツェを取り上げる。

上写真=上位に食い込めなかった市原で得点を量産、個人タイトルを獲得したオッツェ(写真◎J.LEAGUE)

力強い「剛」のストライカー

 1994年、2年目を迎えたJリーグのシーズン序盤に脚光を浴びたのは、ジェフ市原のFW城彰二だった。鹿児島実高(鹿児島)から加入した高卒1年目のストライカーは、ガンバ大阪とのサントリーシリーズ(1stステージ)開幕戦でJリーグ初ゴールとなる先制点。そこから4試合連続得点の華々しいデビューを飾り、注目を集めた。

 だが、そのG大阪戦で2得点を挙げ、5-1の大勝に導いたドイツ人ストライカーが、徐々にチームの主役となっていく。93年ニコスシリーズ(2ndステージ)から市原でプレーし、来日2年目を迎えていたFWオッツェだ。本名は「フランク・オルデネビッツ」で、Jリーグの登録名は愛称の「オッツェ」と「オルデネビッツ」の両方が使われた。

 連載第1回で紹介した初代得点王のラモン・ディアス(横浜マリノス)と同じく、利き足は左足だが、ストライカーとしての特徴は異なる。柔らかい足首を生かして相手のタイミングを外すシュートが持ち味だったラモン・ディアスに対し、オッツェは強烈な弾道でネットを揺らす力強いシュートが売り。ラモン・ディアスの「柔」とは対照的な、「剛」のストライカーだった。

 来日前には母国のブレーメンでブンデスリーガ優勝に貢献している。180センチ・76キロの体格を利して、長いストライドを生かすドリブル突破も相手の脅威となった。市原はサントリーシリーズで12チーム中6位だったものの、オッツェはコンスタントに得点を重ね、活躍ぶりに注目した当時の週刊サッカーマガジンは「左足に斧を持つ男」のタイトルで特集を組んでいる。

 結局、市原はニコスシリーズ9位、年間総合でも9位と不本意なシーズンとなったが、オッツェの得点王レースは明るい話題に。終盤はアルシンド(鹿島アントラーズ)と激しく競り合いながら、シーズン最終戦の1得点で30得点の大台に乗せ(出場は40試合)、タイトルを獲得した。

 なぜかJリーグのベストイレブンには選出されず、この年限りで市原を退団してドイツに戻り、ハンブルガーSVに移籍した。96年に当時Jリーグの1つ下のカテゴリーだったJFLのブランメル仙台(現ベガルタ仙台)でプレーしたが、Jリーグ昇格を果たせなかったため、Jリーグでのプレーは市原時代の1年半のみ。それでも55試合に出場、37得点を挙げて鮮烈な印象を残した。

●1994年の得点ランキング(全44試合)
1位 オッツェ(ジェフ市原) 30得点
2位 アルシンド(鹿島アントラーズ) 28得点
3位 ベッチーニョ(ベルマーレ平塚) 24得点
4位 武田修宏(ヴェルディ川崎) 23得点
5位 ラモン・ディアス(横浜マリノス) 23得点
 ※5位まで、所属クラブ名は当時のもの