この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第3回は、第69回~71回大会編。この世代は粒ぞろいで、監督としてアジア王者になった者もいれば、Jクラブの社長や会長を務める者もいる。

SC相模原の会長も

◆望月重良

望月重良(清水商業高校)

ヴィッセル神戸時代(2001-02)/写真◎J.LEAGUE

望月重良(もちづき・しげよし)◎1973年7月9日生まれ、清水商業高校。第69、70回(90、91年度)選手権に出場。攻撃でも守備でも力を発揮した中盤の万能プレーヤー。攻めては巧みなドリブルやパス、守っては運動量と献身性を駆使して存在感を示した。現役引退後はSC相模原のクラブ立ち上げに携わり、代表取締役会長を務めている

◆上野良治

上野良治(武南高校)

横浜マリノス/横浜F・マリノス時代(1994-2007)/写真◎J.LEAGUE

上野良治(うえの・よしはる)◎1973年4月21日生まれ、武南高校。第68、69、70回(89、90、91年度)選手権に出場。柔軟なボールタッチと相手の急所を突くスルーパスで中学時代から話題を集めた天才児。1年時から中盤の主力として3年連続出場を果たした。プロ入り後は横浜マリノス(横浜F・マリノス)一筋。03、04年のリーグ連覇に貢献した

◆前園真聖

前園真聖(鹿児島実業高校)

横浜フリューゲルス時代(1993-96)/写真◎J.LEAGUE

前園真聖(まえぞの・まさきよ)◎1973年10月29日生まれ、鹿児島実業高校。第68、69、70回(89、90、91年度)選手権に出場。切れ味鋭いドリブルは高校時代から大きな武器。タッチライン際でのチャンスメークが光ったが、貴重な得点でもインパクトを残した。高校卒業後に横浜フリューゲルスに加入。アトランタ五輪代表では主将を務め、28年ぶりの本大会出場に大きく貢献した

◆鬼木達

鬼木達(市立船橋高校)

川崎フロンターレ時代(1998,2000-06)/写真◎J.LEAGUE

鬼木達(おにき・とおる)◎1974年4月20日生まれ、市立船橋高校。第69、70回(90、91年度)選手権に出場。現在、技巧派集団の川崎フロンターレを率いるにふさわしいほどの技術を備え、2年時は選手権4強入り。高校卒業後、鹿島アントラーズに加入し、2006年に川崎Fで引退。そのまま指導者の道に進み、17年に川崎Fの監督に就任すると、J1連覇の偉業を達成した

◆三浦淳寛

三浦淳寛(国見高校)

ヴィッセル神戸時代(2005-07)/写真◎J.LEAGUE

三浦淳寛(みうら・あつひろ)◎1974年7月24日生まれ、国見高校。第69、70、71回(90、91、92年度)選手権に出場。1年時からメンバー入りして優勝を経験。主力に成長して臨んだ3年時は決勝で鮮やかな左足ミドルを沈め、2年ぶりの優勝の原動力になった。プロ入り後は横浜フリューゲルスやヴィッセル神戸でプレーし、現在は神戸のスポーツダイレクターを務める

◆森岡隆三

森岡隆三(桐蔭学園高校)

清水エスパルス時代(1995-2006)/写真◎J.LEAGUE

森岡隆三(もりおか・りゅうぞう)◎1975年10月7日生まれ、桐蔭学園高校。第70、71回(91、92年度)選手権に出場。高校時代は右サイドバックでプレーし、1、2年時と2年連続で選手権出場。チームの前評判は高かったが、どちらも最後はPK戦で敗退した。Jリーグでは清水エスパルスで長く活躍し、日本代表として2002年の日韓ワールドカップに出場した

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