この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第2回は、1980年代後半の第65回~68回大会編。Jリーグのレジェンドたちの高校時代を振り返る。

「ヘッドの鬼」の原点

◆秋田豊

秋田豊(愛知高校)

鹿島アントラーズ時代(1993-2003)/写真◎J.LEAGUE

秋田豊(あきた・ゆたか)◎1970年8月6日生まれ、愛知高校。第65、67回(86、88年度)選手権に出場。1年時は控えで、3年時は主将として出場も2回戦敗退。このとき空中戦で勝てなかった経験が、「ヘッドの鬼」と呼ばれるキャリアの原点に。愛知学院大を経て93年に鹿島アントラーズに加入し、日本代表でも長く活躍した。現在はいわてグルージャ盛岡の監督を務める

◆三浦文丈

三浦文丈(清水商業高校)

横浜マリノス時代(1993-98)/写真◎J.LEAGUE

三浦文丈(みうら・ふみたけ)◎1970年8月12日生まれ、清水商業高校。第67回(88年度)選手権に出場。スピードに乗った突破とファイティングスピリットで中盤の心臓に。優れたリーダーシップを発揮して、チームを2度目の優勝に導いた。筑波大を経て横浜マリノスに加入し、京都パープルサンガ、ジュビロ磐田、FC東京でもプレー。引退後は指導者となり、現在はSC相模原で指揮を執る

◆藤田俊哉

藤田俊哉(清水商業高校)

ジュビロ磐田時代(1995-2005)/写真◎J.LEAGUE

藤田俊哉(ふじた・としや)◎1971年10月4日生まれ、清水商業高校。第67回(88年度)選手権に出場。正確無比のボールコントロールと優れた戦術眼を発揮し、2年生ながら優勝への原動力となった。筑波大からジュビロ磐田へ進み、2001年にはJリーグMVPを受賞。オランダでの指導を経て、現在は日本サッカー協会のスタッフとして日本代表チームを支える

◆野口幸司

野口幸司(市立船橋高校)

ベルマーレ平塚時代(1994-97)/写真◎J.LEAGUE

野口幸司(のぐち・こうじ)◎1970年6月5日生まれ、市立船橋高校。第65、66、67回(86、87、88年度)選手権に出場。3年時にエースとして初の決勝進出に大きく貢献。ゴール前では巧みな位置取りとシュートで脅威となり、中盤に下がって組み立てもこなした。1994年にJリーグに昇格したベルマーレ平塚では、クラブのリーグ戦初ゴールを記録

◆相馬直樹

相馬直樹(清水東高校)

鹿島アントラーズ時代(1994-2001,03)/写真◎J.LEAGUE

相馬直樹(そうま・なおき)◎1971年7月19日生まれ、清水東高校。第68回(89年度)選手権に出場。対人や攻め上がりなど、攻守に高い水準のプレーを見せていた万能選手。3年時に念願叶って選手権出場。早稲田大を経て加入した鹿島アントラーズでは、左サイドバックの定位置をつかんで日本代表にも定着した。FC町田ゼルビアなどで監督を務めたのち、今季よりコーチとして古巣の鹿島に復帰

◆下平隆宏

下平隆宏(五戸高校)

柏レイソル時代(1993-2000,03-04)/写真◎J.LEAGUE

下平隆宏(しもたいら・たかひろ)◎1971年12月18日生まれ、五戸高校。第66、68回(87、89年度)選手権に出場。3年時には主将として選手権に出場。高校卒業後に柏レイソルの前身である日立製作所に入団。2004年に現役を引退し、柏で指導者の道を歩む。トップチーム監督などを経験し、現在は横浜FCで監督を務める

◆實好礼忠

實好礼忠(南宇和高校)

ガンバ大阪時代(1995-07)/写真◎J.LEAGUE

實好礼忠(さねよし・のりただ)◎1972年10月19日生まれ、南宇和高校。第67、68、69回(88、89、90年度)選手権に出場。2年時に四国勢として初優勝を果たしたチームで守備の要に。的確なカバーリングなど、常に落ち着き払ったプレーで最終ラインをまとめた。立命館大学を経て1995年にガンバ大阪に加入し、2005年のリーグ初優勝に貢献。引退後は指導者となり、今季より京都サンガF.C.の監督に就任した

歴代J戦士の高校時代【80~85年編】
歴代J戦士の高校時代【90~92年編】