この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第1回は、1980年代前半の第59回~64回大会編だ。現在のJ監督や技術委員長が登場!

17歳の炎のゴールハンター

◆中山雅史

中山雅史(藤枝東高校)

アスルクラロ沼津(2015-)/写真◎J.LEAGUE

中山雅史(なかやま・まさし)◎1967年9月23日生まれ、藤枝東高校。第63回(84年度)選手権に出場。闘志むき出しで得点を狙うアグレッシブなプレーは当時から「炎のゴールハンター」そのものだった。唯一の出場となった2年時は全国3位。筑波大を経て加入したジュビロ磐田でゴールを量産し、1998年のフランスW杯で日本人初スコアラーに。52歳になった今もアスルクラロ沼津で現役続行中

◆井原正巳

井原正巳(守山高校)

横浜マリノス/横浜F・マリノス(1993-1999)/写真◎J.LEAGUE

井原正巳(いはら・まさみ)◎1967年9月18日生まれ、守山高校。第63回(84年度)選手権に出場。当時は長身MFとして守山の中盤を支え、選手権の舞台は2年時の1試合のみだったがポテンシャルの高さを示した。Jリーグでは横浜F・マリノスなどで活躍し、日本代表では国際Aマッチ122試合に出場した。引退後は指導者の道に進み、現在は柏レイソルでコーチを務める

◆堀孝史

堀孝史(鎌倉高校)

浦和レッズ時代(1992-1998)/写真◎J.LEAGUE

堀孝史(ほり・たかふみ)◎1967年9月10日生まれ、鎌倉高校。第62、64回(83、85年度)選手権に出場。3年時はエースとしてチームを牽引し、ベスト16進出の立役者に。優秀選手にも選ばれた。明治大を経てプロ入りし、浦和レッズ、湘南ベルマーレでプレー。引退後は指導者となり、2017年に浦和レッズの監督としてACLを制した

◆江尻篤彦

江尻篤彦(清水商業高校)

ジェフユナイテッド市原時代(1992-1998)/写真◎J.LEAGUE

江尻篤彦(えじり・あつひこ)◎1967年7月12日生まれ、清水商業高校。第64回(85年度)選手権に出場。左サイドからの突破と正確なクロスで、スピードあふれる清水商業の攻撃を引っ張った。主将としてもチームをまとめ、3年時の初優勝に貢献。明治大を経て古河電工に加入し、Jリーグ開幕後もジェフユナイテッド市原で活躍。引退後はトップチームの監督も務めた

◆北澤豪

北澤豪(修徳高校)

ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ時代(1992-2002)/写真◎J.LEAGUE

北澤豪(きたざわ・つよし)◎1968年8月10日生まれ、修徳高校。第64回(85年度)選手権に出場。唯一出場した2年時も初戦敗退だったが、中学時代に読売クラブで磨いた技術、のちに代名詞ともなる豊富な運動量をアピールした。高校卒業後は本田技研に加入し、91年に古巣の読売クラブ(のちのヴェルディ川崎)に移籍。2002年に現役引退。現在はサッカー解説者として活躍する

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