この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第1回は、1980年代前半の第59回~64回大会編だ。現在のJ監督や技術委員長が登場!

上写真=左から反町康治、長谷川健太、中山雅史(写真◎サッカーマガジン)

清水東が82年度に初優勝

 日本がバブル期に突入していく1980年代前半、全国高校サッカー選手権では清水東(静岡)が躍進する。反町康治や澤入重雄らを擁した第59回(80年度)大会を皮切りに、第62回大会までの4年間で3度もファイナル進出を果たし、サッカー王国の強さを見せつけた。

 第61回(82年度)大会は、当時2年生だった長谷川健太、大榎克己、堀池巧の“清水三羽ガラス”がチームをけん引。決勝で韮崎(山梨)を4-1で下し、悲願の初優勝を達成した。静岡県勢としては第49回大会の藤枝東以来、12年ぶりの優勝だった。

 翌年の第62回(83年度)大会では、清水東は1年生ストライカーの武田修宏も加わり、優勝候補の筆頭に挙げられたが、決勝で帝京(東京)に敗戦。惜しくも連覇を逃した。なお清水東を破った帝京には、のちにJリーガーとなる広瀬治、前田治らが在籍していた。

 この時期の選手権はJリーグ創生期を彩ったスター選手たちが多く活躍しており、第63回(84年度)大会には中山雅史(藤枝東)や井原正巳(守山)、第64回(85年度)大会には北澤豪(修徳)や江尻篤彦(清水商)らが出場している。

◆反町康治

反町康治(清水東高校)

横浜フリューゲルス時代(1992-1993)/写真◎J.LEAGUE

反町康治(そりまち・やすはる)◎1964年3月8日生まれ、清水東高校。第59回(80年度)選手権に出場。相手の弱点を見抜く慧眼は当時から健在。頭脳的な司令塔として敵の急所を攻め、チャンスを作り出した。高校卒業後、1浪を経て慶應大学に進学し、Jリーグでは横浜フリューゲルスやベルマーレ平塚でプレー。今年3月より日本サッカー協会の技術委員長を務める

◆長谷川健太

長谷川健太(清水東高校)

清水エスパルス時代(1992-1999)/写真◎J.LEAGUE

長谷川健太(はせがわ・けんた)◎1965年9月25日生まれ、清水東高校。第61、62回(82、83年度)選手権に出場。激戦区・静岡を2年連続で勝ち抜き、全国でも頂点を争った。当時は右ウイングとしてプレーし、攻撃を牽引。筑波大から日産に進み、Jリーグ開幕後は清水エスパルスのエースとして活躍した。引退後は監督になり、現在はFC東京で指揮を執る

◆広瀬治

広瀬治(帝京高校)

浦和レッズ時代(1992-2000)/写真◎J.LEAGUE

広瀬治(ひろせ・おさむ)◎1965年6月6日生まれ、帝京高校。第60、61、62回(81、82、83年度)選手権に出場。巧みなボールコントロールと右足の正確なキックを生かして中盤を支えた。3年時には国立を超満員にした決勝で、清水東とのライバル対決を制して優勝。Jリーグでは浦和一筋でプレーした。鹿島アントラーズに所属する広瀬陸斗は次男

◆武田修宏

武田修宏(清水東高校)

ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ時代(1992-1995、97、2000、01)/写真◎J.LEAGUE

武田修宏(たけだ・のぶひろ)◎1967年5月10日生まれ、清水東高校。第62回(83年度)選手権に出場。激戦区・静岡の壁に阻まれて選手権に出場したのは1年時だけだったが、その年は県予選でMVP、得点王、最優秀新人など個人賞も総なめ。全国でも準優勝に貢献した。高校卒業後に読売クラブに加入し、黄金期のヴェルディ川崎で活躍した