高校年代の選手やチームの物語を紡ぐ、不定期連載の第1回。部員数が100人を超えることも珍しくない高校サッカーにおいて、全国大会のピッチに立てる選手はわずかだ。今回は、その夢はかなわなかったものの、裏方としてチームをサポートし、輝きを放った鳥取の高校生に迫る。

答辞に込められた思い

 12時5分に始まった試合。すぐそこに見える夢の舞台に時折、目をやりながらも、ずっと試合を見ている暇はない。石本は気持ちを奮い立たせて、水や氷を準備するなどの仕事をこなしていた。

「自分が試合に出て、プレーでチームを助けられないことが悔しかったです。複雑な気持ちで見ていました。でも自分にできるのは、試合に出ている選手をサポートすること」

 3月3日、米子北高の卒業式で答辞の大役を任された石本は、その中に当時の思いを盛り込んだ。

「私は3年間サッカー部に所属し、全国大会の舞台でプレーすることを目標に、日々の練習に励んできました。しかし最後の選手権でベンチメンバーから外れ、ピッチに立つ夢をかなえることができませんでした。

 悔しい気持ちを抑え、チームのサポートに徹しました。大量の備品の管理から、相手チームの分析、対策ビデオの編集など、たくさんの仕事がありましたが、スタッフの方々をはじめとして、関係者の皆様にご協力いただき、何とか仕事をやり切ることができました。
 
 そして迎えた選手権の2回戦。青森山田高校を相手に奮闘したものの、0-6で敗れてしまいました。試合終了のホイッスルを聞いた瞬間、チームをピッチで助けられなかった自分の無力さと、もうこの仲間とサッカーができない寂しさが、涙と一緒にあふれてきました。
 
 しかし、このたびサポートメンバーという立場で帯同させていただいて、スタッフの先生や、保護者の皆様、ならびに関係者の皆様が、見えないところで尽力し、応援してくださっていることを知ることができました。部員を代表して、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
 
 また、サッカー部の仲間には、感謝してもし切れません。日々支え合った仲間と離れ離れになるのは寂しいですが、米子北高校サッカー部で学んだことを生かし、立派な大人になって再会できることを願っています」

 裏方の仕事は前述したプレー面だけでなく、勉学にも好影響があったという。

「以前は忘れっぽくて、一つひとつ確認することや、メモを取るマメさがありませんでした。それをするようになって、多くの備品も管理できたし、練習や試合で必要なことも忘れずにできた。紙に書いて進めていくようになってから、受験勉強もスムーズにできました」

 東洋大学の経済学部に一般入試で合格し、文武両道を実現した。大学では一度サッカーから離れ、興味がある会計士の仕事や国際経済について学ぶ意向を持っている。それでも「その後でも遅くなければ、サッカーにかかわりたいと思っています。将来のことも含めて、いろいろ考えていきたい」。サッカー経験、米子北高で発揮した裏方としての能力に、さらに多くのスキルを加えれば、卒業する頃にはJクラブから引く手あまたの存在となるかもしれない。

卒業式終了後、3年間ともに戦ったチームメイト、女子マネジャーと記念写真(写真◎石倉利英)

 3年間の成長を見届けた城市徳之総監督は、石本のピッチ外での活躍に最大級の賛辞を送る。

「よく気が付くし、頭が切れる。責任感、吸収力もあって、すごく助かりました。他の選手が経験していないことを経験して、将来へのプラスになったのではないでしょうか。約30年間、高校生を指導してきましたが、石本のような選手は初めてです。ピッチに立てなくてもチームに貢献する姿を見せてくれて、我々スタッフも勉強になりました」

 全国大会ではプレーできなかったが、プレミアリーグWEST、プリンスリーグ中国、県リーグ1部、県リーグ2部、1年生リーグと、高校年代すべてのカテゴリーに出場した。ポジションもGK以外、ほぼすべてを経験し、最後に裏方のサポートメンバーも。

 華やかな舞台に立てなくても、チームのためにできることがある。3年間、高校サッカーをやり切って卒業の日を迎えた石本の表情は、実に晴れやかだった。

「できることは全部やりました。自分にしかできない、とても大きな経験です。米子北に来てサッカーだけでなく、謙虚さ、感謝、我慢すること、気付くことの大切さなど、とても多くのことを学ぶことができました」

3年間プレーした学校のグラウンドで、卒業証書を手に笑顔の石本。裏方としてチームを支え、貴重な経験を積んだ(写真◎石倉利英)