高校年代の選手やチームの物語を紡ぐ、不定期連載の第1回。部員数が100人を超えることも珍しくない高校サッカーにおいて、全国大会のピッチに立てる選手はわずかだ。今回は、その夢はかなわなかったものの、裏方としてチームをサポートし、輝きを放った鳥取の高校生に迫る。

上写真=選手権の初戦前日、サポートメンバーとして準備に励む石本(右)。チームメイトに協力してもらい、多くの備品をチェックしながら用意した(写真◎米子北高校)

文◎石倉利英

本気でやらなければいけない

 2019年夏、沖縄県で開催されたインターハイの男子サッカー競技に、12年連続15回目の出場を果たした鳥取・米子北高校。初戦が迫った7月末、大会に臨むチームに遅れて合流した梶貴博コーチは、一人の選手の動きに目を奪われた。

「本当によく動いていたんですよ。中村真吾監督に『何だか違いますね』と言ったら、監督も『すごいんだよ』と驚いていました」

 スタッフが注目した選手はピッチ内ではなく、ピッチ外で機敏な動きを見せていた。3年生のMF石本一樹(いしもと・かずき)。遠征メンバー20人の一人として、多くの仕事をこなしていた。

 鳥取市の鳥取南中学出身の石本は、「子どもの頃から強いのを知っていて、どこまでできるのか、やってみたい気持ちで」米子市の米子北高に進学。インターハイと高校選手権の両全国大会に10年以上、連続で出場している県内無敵の同校で少しずつ力を伸ばしたが、全国大会のメンバー入りはできないまま、最終学年の2019年度を迎えていた。

3年時はサイドハーフでプレーした石本(写真◎米子北高校)

 インターハイ本大会直前の熊本遠征で、転機が訪れる。ケガ人が足を冷やすなどの治療のサポートを、レギュラーメンバーが行なっているのを見た中村監督が、石本をはじめとした控えメンバーに言った。

「『お前らがやらなければダメだろう』と言われました。そのときは正直、なぜ自分がやらなければいけないのか、と思ったんです。自分も試合に出たいのに、試合に出ないメンバーだと、くくられるのが嫌でした。でも悔しくて、逆に『じゃあ、やってやろう』と思ったんです」

 反発心から始めた裏方の仕事だが、やってみると簡単ではなかった。「最初はケガ人のサポートだけでしたが、大会が近づくにつれて、やることが増えていきました。あんなにたくさん仕事があるとは知らなくて」。練習前は氷や水を用意して、終わったら宿舎でケガ人の治療をサポートしたり、翌日の準備をしたり。石本はそれらを、チームメイトを動かしながら的確にこなしていった。

 何より、「一度、本気になったら、ずっと本気でやらなければいけない」という思いで取り組んでいた。最終的にインターハイの登録メンバー17人には入れなかったが、大会が始まる頃には嫌な気持ちは消え、「試合に出る選手のために『やってあげよう』という気持ちになった」と振り返る。チームは3回戦敗退となったものの、中村監督は石本の働きを「この大会のMVP」と高く評価した。