上写真=第45回大会で藤枝東とともに優勝を果たした秋田商。両校の選手が健闘を称え合う
写真◎BBM

 第97回全国高校サッカー選手権大会・3回戦で目を引いたのは、秋田商の戦いぶりだ。過去に2度優勝を果たしている伝統校だが、最後に優勝したのは31年前のこと。しかし、今年は上位進出へより強い思いを持って大会に臨んでいると映る。短期集中連載の第3回は、秋田商の今と昔の物語を綴る。

文◎国吉好弘

史上最多出場「44回」

 3回戦が終わりベスト8が出そろった。地域別にみると東北(青森山田、秋田商、尚志)、関東(矢板中央、流経大柏、日本航空)3チームずつ、北信越(帝京長岡)と中国(瀬戸内)が1チームずつという内訳になる。東北勢の健闘が目を引くが、8強のうち優勝経験があるのも秋田商、青森山田、流経大柏と3校で、うち2校が東北勢だ。秋田商は1957年度の第36回大会で東北勢として初めて優勝、66年度の第45回大会で2回目の優勝を果たしている。通算出場回数も今大会で44回目を数え、全国最多記録を保持しており、まさに古豪と呼ぶにふさわしい。

 1948年(昭和28年)に創部した秋田商サッカー部は、部を立ち上げた内山真先生の熱意と努力で一歩一歩全国への道を歩んだ。自身はサッカーの経験などなく、剣道の達人であったが、広いグラウンドの活用するためすでにラグビー盛んだった秋田工業に対抗してサッカー部を作ったと言われる。

 体育指導者の講習会で知り合った高橋英辰氏(のちに日本代表監督、日本リーグ日立製作所監督)の指導を仰ぎ、関連の書籍、資料を取り寄せて研究を重ねたチーム作りを進めた。今でも降雪地域で冬場の練習がままならないハンディキャップは現在の比ではない時代に、できる限りの創意工夫と、剣道家らしく鍛錬と呼ぶにふさわしい猛練習で選手を鍛えた。そして53年度の第31回大会に初出場、創部18年目にあたる36回大会で初優勝した。この時代に東北のチームがサッカーで全国を制することがどれほど困難なことかは想像に難くないだろう。今振り返っても偉業と呼ぶにふさわしい快挙だった。

龍谷を下して32大会ぶりにベスト8進出を果たした秋田商

 そして2度目の優勝は当時全盛を誇り、夏のインターハイ、秋の国体を制して「3冠」を狙った藤枝東との決勝戦で、延長まで0-0で粘って両校優勝にこぎつけたもの。このときの主将でGKとして藤枝東の攻撃を防ぎ切ったのが外山純元監督だ。この活躍でユース代表にも選ばれた世代屈指のGKだったが、中央大を経て母校に教師として戻り、のちには監督として首都圏開催後に2度のベスト4に導いた。

 さらに同校の校長、秋田県サッカー協会会長も務め、まさに県サッカー界の重鎮だったが、昨年8月に病気のために69歳で亡くなっている。現在の小林克監督は外山元監督の薫陶を受け、第70回大会に選手として出場している。小林監督と秋田商にとってはその意味で外山元監督の思いを背負って臨んだ今大会で、ベスト8に進出した。秋田県勢としては、外山元監督が果たした第65回大会以来となる32大会ぶりのベスト8入り。この結果は、天国の恩師を喜ばせているに違いない。チームは、恩師をさらに喜ばせるために、次は4強入り、その先を目指すことになる。

右から2人目が外山純氏。1967年1月に2度目の優勝を果たしたチームの主将を務めた(写真◎BBM)