上写真=女性審判員の阿部なつきさん(左)と渡辺香雛さん。主審を担当して日本一を懸けた戦いを支えている(写真◎石倉利英)
「サッカーにドハマりした」
1982年にプレ大会が開催されたサッカーマガジンカップは、翌83年の第1回大会から今年で43回目。まだ日本でサッカーがマイナースポーツだった冬の時代に競技の普及・発展のために立ち上げられ、近年は大学の準体育会・同好会・サークルの日本一を決める大会と位置付けられている。
主催・運営の株式会社毎日コムネット、宿泊先やグラウンド手配を受け持つ菅平高原グランド部会と並び、素晴らしい大会を実現するのに欠かせないのが審判団。今大会に派遣されている審判団のうち、20歳の阿部なつきさんと18歳の渡辺香雛さんは、2人だけの女性審判員として主審を担当している。
群馬県出身の阿部さんは、中学まではミニバスケットボールと陸上をやっていたが、地元の大田女子高に入学した際に「人数が足りないから、どう? と誘われて」サッカーの道へ。本人が「サッカーにドハマりした」と語るほど好きになり、帝京大2年生となった現在も女子サッカー部で競技を続けている。
審判員として活動を始めたのは大学1年生のとき。ある大会で副審の用意が必要になった太田女子高に資格を持っている部員がおらず、高校時代に4級審判員の資格を取得していた阿部さんが代わりに副審を務めていると、高校の顧問の先生から「やってみたら」と勧められたのがきっかけだった。
20歳の阿部さんは大学2年生。サッカーを続けながら審判員活動をしている
「鹿島アントラーズが好きなんです」
千葉県出身の渡辺さんは小学3年生から6年生までサッカーをやっていたが、その後は競技から離れ、中学時代にやっていたのはソフトボールと駅伝。千葉東高に進学してからはサッカー部のマネジャーを務めていた。
Jリーグが好きで「千葉県出身なんですけど、鹿島アントラーズが好きなんです」と笑う。カシマスタジアムに足しげく通い、ゴール裏で応援しているというから熱心なサポーターだ。サッカーのいろいろな部分、審判員にも興味があって「高校2年生の春にやってみよう! と思って」4級審判員の資格を取得。卒業後の今年、法政大に進学後も審判員活動を続けている。
18歳の渡辺さんは大学1年生。鹿島アントラーズ好きが高じて審判員の道へ進んだ
阿部さんは3級審判員資格を取得後に主審を務めるようになり、「いろいろな年代やカテゴリーのサッカーに携われることが、本当に楽しい」という。女性の試合を担当することが多いので、この大会は貴重な機会だ。判定に対する男子大学生の声や反応が「胸に突き刺さることもありますけど、めちゃくちゃ楽しい」と充実感を漂わせる。
渡辺さんは審判員活動を始めてから「特に腕を使うファウルや、空中戦で手を使うファウルが、なかなか見えなくて、かなり苦戦した」そうだ。それでも小学校から大学生までの各年代、男子の試合も数多く担当し、少しずつ経験を積んでいる。
審判員としての目標を、阿部さんは「プロのピッチに立ちたいので、1級審判員を目指しています。サッカーを始めたのが最近なので、もっとサッカーを知ることが自分の成長につながると思う」と語り、渡辺さんは「Jリーグで笛を吹きたいです。今大会は選手のスプリントも速いので、頑張らなければいけない」と意気込む。菅平高原での経験を力に変えて、晴れ舞台で笛を吹く日を夢見ている。
取材・写真◎石倉利英