11月3日は、日本サッカー史に残る伝説のゴールが生まれた日だ。1992年、広島県で開催されたアジアカップ。日本は開催国ながらグループステージ敗退の危機に陥っていたが、カズ(三浦知良)が起死回生の一撃を決める。その瞬間、スタジアムだけでなく、山も大きく揺れた――。

勢いに乗ってアジア初制覇

 0-0のまま迎えた80分。残り10分となったが、キャプテンのDF柱谷哲二はオフト監督の指示に従わなかった。

「自分の判断で、後ろに残るのを2人にした」

 都並敏史と堀池巧、左右のサイドバックだけを残し、自分に加えてDF井原正巳も攻撃に参加させたのだ。リスク覚悟で攻撃の人数を増やした、この判断が土壇場で奏功する。

 公式記録で85分、報道陣の計測では87分を過ぎていた試合終了間際。井原が右足アウトサイドで前線に送ったスルーパスが、イランの守備網の隙間を抜けてエリア内に通る。フリーで走り込んでいたのはカズ。ワントラップから豪快に右足を振り抜き、ついにネットを揺らした。

 興奮の表情でメインスタンドの前まで走り、カズダンスを披露するヒーローに、チームメイトが次々と駆け寄った。3万7000人が集まった観客は総立ちとなり、スタジアムが大きく揺れる。この日、近くの広島修道大では学園祭が行なわれていた。スタジアムの熱狂はキャンパスにも届き、大歓声が反響して、山も揺れているかのような音が鳴り響いたという。

 起死回生の一撃によって、日本は1-0で勝利を収めた。カズは試合後、テレビのインタビュアーの「思い切って打ちましたね!」という質問に答え、語り継がれる名言を残している。

「魂込めました、足に」

 まさに魂のゴールでグループステージを突破し、日本は勢いに乗った。11月6日の準決勝は中国に3-2で勝利。11月8日の決勝では大会3連覇を狙ったサウジアラビアを1-0で下し、初優勝を成し遂げる。

 日本はその後、2000年、2004年、2011年にもアジアカップを制し、現在は史上最多4回の優勝を誇る。アジア初制覇を経て臨んだ93年のアメリカ・ワールドカップ最終予選は『ドーハの悲劇』に泣いたものの、98年フランス大会で悲願の初出場。まもなく開幕するカタール大会まで7大会連続で出場している。

 日本がアジアの強豪国へと駆け上がる扉を開いた、伝説のゴールから30年。カズは55歳となった今季も、あの日と同じ背番号11のユニフォームでピッチに立ち続けている。