写真◎サッカーマガジン
1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第40回は1980年にヤンマー復活の年にプレーイングマネジャーとしてのみならず、一瞬、GKを務めた釜本邦茂について綴る。
4年ぶり4回目の優勝
9月にリーグが再開されると後期初戦、第10節のヤマハ戦でもハットトリックの活躍でチームを5-3の勝利に導き、前期の勢いを加速させた。そしてその後も首位の座を他に明け渡すことなく、16節の新日鉄戦を迎える。この試合でも2-0の勝利の2点目を釜本自ら挙げて、2節を残して4年ぶり4回目のリーグ優勝を決めた。
3シーズン優勝から遠ざかっていたヤンマーを復活させたのは、監督としてチームをまとめながら、選手としてもなお存在感を示した釜本と言ってよかった。得点王こそ早稲田大の後輩、碓井博行(日立)に譲ったものの、シーズンを通してランキング2位の10得点を挙げ、アシストでも2位の8アシストで味方の得点をお膳立てした。まぎれもなく優勝の原動力だった。
リーグが終了した12月16日には、スペインのバルセロナで開催された「UNICEFチャリティーマッチ、バルセロナ対世界選抜」の世界選抜の一員に選ばれ、ヨハン・クライフ(オランダ)、ライナー・ボンホフ、カールハインツ・ルムメニゲ(ともに西ドイツ=当時)、ミシェル・プラティニ(フランス)、オレフ・ブロヒン(ソ連=当時)と言ったそうそうたるメンバーとともにカンプノウでプレー。世界のスター選手たちにも見劣りしない存在感を見せつけていた。
JSL入りして14シーズン目、36歳にしてなお充実の時を迎えていた日本サッカー界の至宝は、新たな勲章を加えるとともに、GKとしてプレーしたという珍しい記録を残し、充実のシーズンを過ごした。(文中敬称略)
著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める。