1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第39回は1989年に、20年ぶりに国立競技場の最多観客数を塗り替えた背景について綴る。

最後のJSL・読売対日産で更新

第27回JSL、92年3月22日の読売対日産。ドリブルするカズ(写真◎サッカーマガジン)

 2月26日の試合前日まで2日間雨が降り、天候が心配されたが、当日は晴天に恵まれた。12時30分から開始の読売ク対三菱の試合には3万5000人が入ってムードが高まり、14時30分からのヤマハ対日産戦には4万1000人に達して、これまでの記録を更新。ただ、満員にはならなかった。

 試合は読売クが三菱を1-0で下し、ヤマハ対日産は前期11連勝を飾り、JSLカップ、天皇杯にも優勝していた日産をヤマハが2-1で破って連勝をストップした。とはいえ、2試合ともやや盛り上がりに欠ける内容で、多くの観衆を熱狂させるには物足りなかった。

 この日の2試合では、ゴールを決めたヤマハの大榎克己、日産の長谷川健太、さらに読売クでは堀池巧がプレーしていた。彼ら「清水の3羽ガラス」は5年前の高校選手権決勝で清水東の選手としてピッチに立ち、国立競技場に満員の6万人と、さらに入りきれなかった1万人の観客を集めていた。そして三菱にはその決勝で優勝した帝京高の広瀬治もおり、高校時代の方が観客を集めていたのは、何とも皮肉だった。

 プロジェクトを遂行し、観客動員数の記録を更新したとはいえ、その多くは招待券による無料の入場者で、20年前に4万人を集めた試合と同列には扱えないだろう。この2週間後には優勝の行方を左右する日産対読売クの試合がやはり国立で行なわれ、日産が2-0で勝って優勝へ大きく前進したが、同試合の観客は1万人だった。最も注目すべき人気カードでも、1万人しか集まらないというのが現実だった。

 それでも、この動員作戦に端を発したJSLの活性化の流れは、Jリーグ誕生につながっていく。プロ化が発表された後、92年の最後のJSLでは、日産対読売クの試合で実際に6万人の観客を集め、招待券を配らずにJSLの最多観客試合として記録を塗り替えることになった。こうした厳しい時代を経て、やがて各スタジアムに満員の観客を集めるJリーグの開幕へと続いていった。

著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める。