全速先進の落とし穴
勝敗は時の運。常に強い者が勝つとは限らない。最強キエフも、そうだった。
準決勝で西の刺客ポルト(ポルトガル)に敗れ、姿を消すことになる。名将ロバノフスキーの野望は叶わずに終わった。確かに敵地でも本拠地でも相手を圧倒した。強かったのは間違いない。ただ、死角があった。
人数をかけてゴールに迫る波状攻撃がしばしば過剰攻撃と化し、敵のカウンターアタックをまともに浴びてしまう。全速前進、徹底攻撃の落とし穴だった。
後ろは5人。4人のバックスと手前に陣取るアンカーのパペル・ヤコベンコだ。彼らはスイーパーを残してガンガン攻め上がる。ストッパーのオレグ・クズネツォフもそうだ。ほぼ中盤の底に構え、ヤコベンコとともに配球役をこなすだけでは飽き足らず、前線まで進出することすらあった。
中盤が薄くなりやすい。フォアチェックが効かないと、後ろに残った選手のカバーする範囲が広すぎて逆襲の阻止が難しかった。ポルトの前線に単騎駆けの異才パウロ・フットレがいたことも、不利に働いた。広いスペースでの1対1では止めようがない。それが実際に起きての敗退である。
常に押しの一手。西の試合巧者を相手に勝ち切るには、駆け引きも、狡猾さも足りなかった。戦法のみならず、なぜか弱点までオランダとよく似ていた。
いったん歯車が狂うと、修正が効かない。簡単に自爆スイッチが作動する。まさにプログラム通りに動くマシンだった。
それでも、ツボにはまれば強力で、魅力的なチームとして映る。しかも、未来を先取りする要素に満ちていた。最強キエフの値打ちはそこにあったはずだ。西のオランダで途切れかけていたトータルフットボールの糸は、東のウクライナでしたたかに紡がれていた。その流れはソ連の崩壊によって途絶えたが、20年あまりの空白を経て、ドイツ人たちがその糸をたぐり寄せていく。
ユルゲン・クロップやラルフ・ラングニックらの手掛けるチームがそうだ。ゲーゲンプレッシングを旗印に掲げ、スピードスターを前線にそろえる前のめりのフットボールは、それこそ最強キエフの現代版だろう。
先駆者はそれを見ていない。
すでに2002年5月、ロバノフスキーはこの世を去っていた。だが、科学の力に着目し、未来を見通した男の大いなる夢は、いまも生き続けている。