1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第32回はJSLの初代得点王、日立の野村六彦について綴る。
コーチ兼任の72年に「走る日立」をけん引
最終戦の豊田戦でも1点を加え、試合数の14を上回る15得点。得点ランク2位の桑田隆幸(東洋)に5点の差をつけて堂々の得点王となった。得点王には日刊スポーツ紙からトロフィーも贈られ、新聞にも取り上げられて「仕事関係に人にも知ってもらって営業にも役立ちました」と笑う。アマチュア時代ならではのエピソードと言えるだろう。
PKやFK、そしてCKを直接決めた得点もあったように、キックの正確さが多くの得点を挙げた原動力だが、「新聞には『忍者・野村』と書かれました」と言うように、相手に悟られずに良いポジションを取る感覚にも優れていたということだ。
日本サッカーの最初のトップリーグで、初代得点王として記録に残る野村だが、本当に真価を見せたのは7年後の1972年。すでに32歳となり、チームではコーチも兼任しながら中心選手として大活躍した。70年から就任したかつて日本代表も率いた高橋英辰監督の下、「走る日立」としてリーグに旋風を巻き起こしたチームで、中盤をリードし、だれよりも走って攻守の要となった。
チームは見事にリーグ初優勝を飾り、さらには天皇杯も制して「二冠」を獲得した。野村はそのプレーが改めて認められてこの年の年間最優秀選手に選ばれている。
今年2月には81歳の誕生日を迎えたが、シニアサッカーでいまだにボールを蹴り続ける、まさに「健脚」の持ち主である。(文中敬称略)
著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める。