1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第29回はサッカーという競技の普及とJSLの認知度を高めた白黒ボールについて綴る。

70年ワールドカップでも使用

1986年のJSL。読売クラブ対古河電工。松木安太郎と奥寺康彦が白黒ボールを奪い合う!(写真◎サッカーマガジン)

 その狙い通り、これまでの遠目には他の競技のボールと区別のつかないものとは一線を画す白黒ボールは、すぐに「サッカー」の象徴となり、JSLが認知されていくのと共に競技の普及にも大いに役立った。66年6月に創刊したサッカーマガジンも表紙にはボールが写っていないが、初めのページに掲載された写真には白黒ボールが弾んでおり、他の媒体でもサッカーが紹介されるときのイラストなどは白黒ボールが描かれるようになった。またサッカーを中継するテレビにとっても、見栄えの良い白黒のボールは好評だった。

 かくいう筆者も小学6年生のときに父親が知り合いのスポーツ用品店に頼んでメーカー(モルテン)から白黒のボールを取り寄せてもらい、手に入れたときのうれしさを忘れないが、その1966年当時で、周囲にはまだ白黒のボールを使っているものはなかった。それを目にした小学校の担任教師が珍しがって「それを体育の授業で使おう」ということになり、実際そこからわがクラスの体育はサッカーになって、そのボールが活躍したくらいだから、白黒のボール自体はまだ珍しかった。

 にもかかわらず、「サッカーボールは白黒」とすでに思い込んでいたのだから、「サッカー=白黒ボール」のイメージ戦略は見事に成功したと言えるだろう。

 その後白黒ボールはどんどん普及し、1970年メキシコ大会からワールドカップでも使われるようになり、サッカーと言えば白黒ボールと完全に定着した。

著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める。