1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第27回は異彩を放つ個性派集団、読売クラブの初昇格について綴る。

与那城とジャイロで重たい扉を開く

ついに入れ替え戦に勝利した読売クラブ。1978年3月12日、1部入替2回戦/読売2-0トヨタ(@西が丘/写真◎サッカーマガジン)

 翌75年もリーグでは2位ながら入れ替え戦ヘ進んだが、日本鋼管に第1戦は1-1で引き分けたものの、第2戦で0ー1と敗れて敗退。さらに76年もリーグで2位となり、今度は新日鉄と対戦。相手はJSL開設の1965年から所属する古豪だったが、個々の能力ではむしろ読売クが勝っていた。ところが、試合運びの成熟度で劣り、1-2、2-3と2試合とも1点差で敗れた。

 そして1977年、チームが解散となってリーグを脱退した永大産業から数人が加わり、戦力が向上する。特にブラジル人のジャイロの加入が大きく、与那城とのコンビで攻撃力はさらにアップした。また、DF松木安太郎、MF小見幸隆、FW岡島俊樹といったクラブで育った若手が経験を重ねて、落ち着いて持てる力を発揮できるようになった。試合運びの面で格段に成長していた。

 4年連続4回目のチャレンジの相手は、4年前に初めて苦汁を飲まされたトヨタだった。4年前と同様に第1戦は敵地トヨタスポーツセンターで行なわれた。違っていたのは、読売クのチームとしての成熟度だ。立ち上がりから攻勢をかけながらなかなか得点できず前半は0-0。しかし、焦れることなく試合を運び、50分に与那城が先制する。この得点でさらに落ち着いてプレーできるようになり、岡島が追加点を記録して2-0とし、入れ替え戦での初勝利を挙げた。

 この勝利で勢いを得ると、ホームで本領を発揮する。西が丘では与那城らの友人、知人からなるブラジル式のサンバの応援も後押しし、与那城、ジャイロが前後半に1点ずつを挙げて、この日も2ー0と快勝。2連勝で合計スコアも4-0とし、これまでこじ開けられなかった重い扉を、ついに開いた。

 読売クの力がすでに1部にふさわしいものであったことは、翌年初の1部でのシーズンを戦って4位という成績を収めたことで証明される。1980年代に入ってからも常に優勝を争った。Jリーグ初期に常勝軍団と呼ばれたヴェルディ川崎へと続くトップリーグでの活躍は、4年連続で臨んだ入れ替え戦での苦しい戦いを乗り越えたからこそだった。