連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、革新的なチームづくりを見せたスペインの地方クラブ、デポルティボ・ラ・コルーニャだ。1998-2005年と短期間のながらも輝く歴史を築いた。

マシンに乗った魔法使い

変幻自在のテクニックを武器にデポルのアクセントになったジャウミーニャ(写真◎Getty Images)

 まるで水と油――そう言ってもいい。指揮官のイルレタと司令塔のジャウミーニャだ。

 1997年夏、退団したリバウドの跡目を継ぐ存在としてデポルにやって来たブラジル人は、規律や組織と無縁の自由人。奇想天外な技術とアイディアでメシを食う異端児だった。厳格なイルレタとは、端からソリが合わない。事実、両者の間で揉め事が絶えなかったとも言われる。のちに口論のあげく、頭突きを食らったイルレタが即座にジャウミーニャを追放したトラブルはあまりにも有名だ。

 この「一発退場」はやむを得ないが、退団するまでの間、指揮官がジャウミーニャに救われてきたのも確かである。理屈どおりに事が運ばぬ局面で必要としたのが、左足から繰り出されるブラジル人の魔法だった。

 この人がいなかったら、当時のデポルは血の通わぬ冷徹なマシンに見えたかもしれない。きわめて機械的なチームに、稀代の創造者が組み込まれた「ミスマッチ」が、世界に2つとない魅力の源泉だったとも言える。

 シナリオ(チーム戦術)とアドリブ(ジャウミーニャの創造力)の融合が、デポルを「スーペル」な一団へ格上げしていた。そこには、組み合わせの妙もある。

 トップ下を担うジャウミーニャの後方に、マウロ・シウバとフラビオ・コンセイソンという同胞のボランチが「従者」として仕えていた。イルレタの理論を実践しつつ、ジャウミーニャと感性を共有し、良き理解者となった。クラブが推進してきたブラジル・コネクションの強みと言っていい。

 翌シーズンからチャンピオンズリーグ(CL)に参戦する難しい状況に直面しながら、安定政権を築いていく。2003-2004シーズンまで常にトップ3を維持し、優勝が決してフロックではなかったことを証明した。

 その間、イルレタはデポルをよりいっそう「自分色」に染め上げていく。ジャウミーニャを控えに回し、癖のないバレロンをトップ下の第一選択肢として重用した。言わば、現代版マキナ(マシーン=機械)の総仕上げに取りかかったわけだ。その傑作が、CLの準々決勝で、奇跡の逆転劇を演じる2003-2004シーズンのチームだった。

奇跡を演じた集大成

 スコアは4-0。ホームで戦うデポルの快勝だった。もっとも、これが格下相手なら特段の驚きはない。舞台はCL準々決勝。しかも、相手は連覇を狙う優勝候補筆頭のミラン(イタリア)だったのだ。

 アウェーの第1レグは、あえなく1-4の完敗。デポルがベスト4に駒を進めるには、4点差以上の勝利が必要だった。

 まさにミッション・インポッシブルである。それを実際にやってのけたのだから、見る者の記憶に残らぬはずがない。

「なぜ、あんなことが起きたのか。当時もいまも、この先も、これという理由を思いつくことはない」

 一敗地にまみれたミランの名将アンチェロッティの回想である。前半だけで3-0。デポルが勢いづくのも道理だった。ミラン側からすれば、3失点はいずれもミス絡み。鉄壁を誇ってきたディフェンス陣に思わぬ綻びが生じたものだ。だが、別の見方をすれば、デポルの激しい圧力がミスを誘ったとも言える。

 前線からの苛烈なプレッシングだ。さらに、高い位置でボールを奪って仕掛ける速攻も実にスリリングなもの。敵の守備陣をカオスへ巻き込むには十分だった。

 際立ったのは、サイドアタックからフィニッシュへ至るメカニズムだ。ウイング、ボランチ、サイドバックのトライアングルでやり取りされるパス交換と、最終局面で逆サイドからボックス内をうかがうウイングの飛び込みが、あらかじめ準備されていた。

 システムの相性もある。ミランのそれは4-3-1-2。左右のMFがインサイドに絞ってポジションを取るぶん、サイドの攻防で数的不利に陥りやすい。デポルはウイングとサイドバックがペアを組み、ライン際で孤立したミランのサイドバックを攻め立てた。

 特にミランの脅威となったのが左翼を担う韋駄天のルケだ。しかも、縦一本鎗の「香車」ではない。まるで「角」のように、斜めにも切れ込む大駒だった。攻略の手順が決まっているから、ツボにはまったときの破壊力はすさまじい。面白いように守備組織を破壊し、本命ミランを呑み込んでいった。

「監督ならば、誰もが夢見るような素晴らしいゲームだった。私が監督になって以来、最高のデポルをお見せすることができた」

 試合後、自ら興奮気味に語ったとおり、イルレタの築いた『スーペル・デポル』の集大成と言っていい。それは終わりの始まり、でもあったからだ。