コミュニケーションの大切さを痛感
毎日、フランクフルトからマインツへ電車で移動し、夜7時からトレーニング。まったく会話が通じない仲間たちと練習後にビールを飲んだりもしたが、何を話しているのか分からなかった。移籍先は一向に見つけられず、時間だけがいたずらに過ぎていく。季節は移ろい、ヨーロッパの街はクリスマス一色に。
09年12月、イギリスからベルギーへユーロスターで鉄道移動。ブリュッセル駅では現地の代理人がプラカードを持って、待っているはずだったが、それらしき人が見当たらない。
約1時間、駅の中を疲れた足でぐるぐると回り、いい加減あきらめて帰ろうとしたときだ。中年の男性が手に持つ小さなダンボールに「JAPAN YOSHIAKI OHTA」と書かれていた。片言の英語も通じず、返ってくる言葉はフランス語。よく分からない男に車まで案内され、そこから無言のドライブが約1時間も続いた。
「これは次もチームないわ、と思いました。家に着くと、また違うフランス語しか話せないおじさんが出てきたんです。どうやら、その彼が代理人で、駅に迎えに来てくれたのは運転手。その晩、『明日、10時にな』ということだけ伝えられました」
翌朝、いきなりテストと意気込んで準備をしていたが、車で連れて行かれたのはブリュッセル観光。電飾のツリー、華やかなイルミネーション。クリスマスムードが漂う街中を男2人で無言のままゆっくり歩いて回った。
周囲を見渡せば、男女のカップルばかり。「俺はいったい何をやっているんだろう」と思いつつ、後日KVメヘレン(ベルギー)の練習に参加。テストを受けさせてもらったが、結果は出なかった。その代理人と言葉のやり取りはできなかったものの、しばらく時間をともにしていると、心の温かみは感じ取れた。
「家にも招待してくれたり、いまとなっては感謝しています」
12月下旬、ビザの関係で約5カ月に及ぶヨーロッパ放浪の旅を終えて帰国。結局、ヨーロッパで正式なテストを受けることができたのは3クラブのみ。
「見事に撃沈です。コミュニケーションの大切さを痛感しました。海外に行くまでは、磐田でもチームメイトと話したりはしなかったのですが、海外から戻って来てからは、うるさいと言われるくらい話すようになりました」