写真◎サッカーマガジン
1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第21回は、W杯に出場したブラジル代表DFの加入と日産自動車の変化について綴る。
選手と監督で三冠達成
今連載でも以前に取り上げたように(連載第14回)、83年に水沼貴史、柱谷幸一ら大卒の日本代表クラスを一気に加え、金田喜稔、木村ら現役日本代表の主力と合わせてリーグでもトップレベルの人材を抱えた日産だが、まだ日本リーグ(JSL)制覇は果たせていなかった。
そんな中、オスカーは87-88シーズンのJSLに開幕からフル出場。ヘディングの強さはまさにワールドクラスで、的確なゲームの読みからのカバーリング、正確な前線へのパスも際立っていた。
そうした活躍にもかかわらず、攻守にかみ合わない部分もあり、同シーズンは4位に終わる。しかし、オスカーがチームにも日本のサッカーにも慣れた翌シーズンはさらに本領を発揮。日産の守備を安定させた。加入前の86-87シーズンは24だった失点数を、87-88は20に減らし、88-89にはリーグ最少の17にまで抑えて、見事に初優勝に導いた。
得点数では常にトップクラスであったチームの失点が減少すれば、勝ち点をより多く稼ぐことができるのは道理。さらにはJSLカップ、天皇杯も制し、日産は国内タイトル独占の『三冠』を獲得した。
オスカーはこの年、国内の年間最優秀選手にも選出されたが、区切りをつけて現役を退いてしまう。しかし翌年には日産の監督となり、2年連続の『三冠』という偉業を達成した。
著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める