連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、新監督の就任とともに絶滅危惧種を保護し、世界にその価値を再認識させた、2000年代初頭のFCバルセロナを取り上げる。

師と弟子たちの合作

ライカールトと兄弟弟子の関係と言っていいグアルディオラはその後、さらにバルセロナを加速させていった(写真◎Getty Images)

 ウイングが「絶滅危惧種」となる以前にも、広角ウイングは存在している。もっとも、その多くは「左利きがいない」という、ごく単純な理由によるものだ。

 しかし、ライカールトはそこに明確な意図を込めていたという点で、かつてのそれとは一線を画している。バルサの広角ウイングが成功を収めると、多くのクラブに次々とコピーされていった。

 イングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドも、その一つだ。縦に抜く本格派の右ウイングだったC・ロナウドが、利き足とは逆の左に回ってゴールラッシュに目覚めていく。

 左のワイドオープンで躍動するロナウジーニョの影響力は、絶大だったと言っていい。もう見事なまでの当たり役。ライカールトの慧眼というほかない。

 すべては「ウイングの保護」から始まっていた。

 そこには何より、1対1で攻撃側に有利に働くスペースがある。おまけにボールを失っても、中央に比べて、敵のカウンターをまともに食らうリスクが少ない。まさに一石二鳥のポジションだ。

 守備ではあまり役に立たないかもしれないが、ボールに近い側のMFがカバーに回れば、サイドの攻防で数的不利に陥るリスクも少ない。MFは3人だから、横ズレしても中央には2人いる。

 1対1で勝てるウイングがいるならば、彼らを攻撃に専念させても、大きなリターンを見込める。賢者ライカールトは、それを見事に証明するチームをつくった。

 彼の跡目を継ぎ、最強バルサを築いたペップ・グアルディオラも、オランダ人の敷いたレールの上を走っていたと言っていい。彼ら2人はクライフという同じ師を持つ「兄弟弟子」でもあった。ペップはクライフを偉大な画家にたとえ、こう話している。

「かのラファエルの作品は、多くの弟子たちの手によって完成したものだ。我々もまた、クライフの仕事を受け継いでいる」

 ならば、クライフをして「絶対だ」と言わしめる右翼と左翼が、弟子たちの手によってよみがえるのも道理だろう。2つの翼は距離を縮めることはあっても、決して交わることはない。

 互いに大きく離れた場所にあるからこそ、物事がうまく運んでいく。偉大な師と弟子たちがバルサという作品を介して、そう教えているかのようだ。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャーナリストとして活躍中。

2003-08年のライカールト政権下でバルセロナは復活を遂げた。写真は2004-2005年のチャンピオンズリーグ(写真◎Getty Images)