写真◎サッカーマガジン
1965年から1992年まで日本のサッカーはJSL(Japan Soccer League/日本サッカーリーグ)を頂点として発展してきた。連載『J前夜を歩く』ではその歴史を振り返る。第19回はあのハンス・オフトが監督に就任したマツダについて綴る。
聞きなれない言葉の数々
オフトがマツダにたたき込んだのは、主に戦術面といってよかった。個人、グループ、チームとして果たすべき役割、プレーを整理し、徹底してゲームで実行させた。それはサッカーの本場であるオランダをはじめとしたヨーロッパでは当たり前のことながら、当時の日本ではおろそかにされていた部分。オフトは「ディシプリン(規律)」という言葉でチームに浸透させた。
フジタ戦の試合後の会見でも「チームにとって重要なのはディシプリン」だと熱弁をふるったが、当時はまだ聞き慣れない単語として筆者をはじめ、居合わせた報道陣の脳裏に深く刻まれたのだった。「スリーラインをコンパクトに」「トライアングルを作る」「アイコンタクト」「コーチング」など、のちの日本代表監督時代に定着させた単語も当時から使っており、チームの方向性を定める手腕は秀逸だった。
オフトは技術的にはアジアでも上位に迫っていた日本代表にも確かな戦術意識を植え付け、アジアの頂点に導いた。その原型が、この日のマツダにあった。
著者プロフィール/くによし・よしひろ◎1954年11月2日生まれ、東京出身。1983年からサッカーマガジン編集部に所属し、サッカー取材歴は37年に及ぶ。現在はフリーランスとして活躍中。日本サッカー殿堂の選考委員も務める