あの頃があるから今がある――。この連載では大学時代に大きく成長し、プロ入りを果たした選手たちを取り上げる。第8回は、流通経済大からJリーグに進み、今季でプロ9年目を迎える山村和也だ。

上写真=大学サッカー界屈指のセンターバックとして名を馳せた山村(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

文◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE、Getty Images

9クラブからオファー

 待ち人来る。

 2019年1月、川崎フロンターレの新体制会見にサックスブルーのユニフォームで現れた山村和也は万雷の拍手で迎えられた。ファン・サポーターから「おかえり」という声を掛けられたという。

「練習参加した大学時代の頃のことを覚えてくれている人たちがいたんです。あれはうれしかった。初めてのクラブという感じがしなくて、親近感がわきました」

 2011年の春、Jリーグの9クラブから声が掛かっていた流通経済大のセンターバックは、熟考した末に3クラブまで絞り、そこからまた悩んでいた。

 鹿島アントラーズ、川崎フロンターレ、ジュビロ磐田の三択。Jリーグの試合をチェックし、各所属クラブの選手たちの話も聞き、練習に参加した。最終的に岩政大樹(現・サッカー解説者)の影響を色濃く受けて鹿島を選ぶことになるが、当時から川崎Fにも惹かれていた。レジェンドの存在は大きかった。

「南アフリカワールドカップ(サポートメンバーで参加)で一緒だった中村(憲剛)さんにはいろいろアドバイスをもらいました。ゲーム形式の練習ではボランチに当てるパスなど、プレーの細かい点まで教えてくれました」

 山村は人の意見に耳を傾け、スポンジのように吸収していく。大学1年生から主力となり、関東大学1部リーグで2連覇を達成。3年生からは大学サッカーの域を越えて、五輪世代の年代別代表として活躍する。10年のアジア大会は、代表の主将として優勝を経験。11年の五輪アジア予選でも主力として、5大会連続の出場権獲得に貢献した。

ロンドン五輪出場を目指す年代別代表では主将を任された(写真◎GettyImages)