「質問がなかったらどうしようかと…」
そしてその翌日に、今度は水沼が引退を発表して驚かされた。木村の引退試合ではどちらもフル出場。水沼にとっても「引退試合」だったのだ。でも、木村への配慮で発表を控えていたのだという。
のちに記者会見で、水沼はこう話した。
「自分の口から引退を伝えたかった。体が疲れたのではなく、心が疲れたのが引退の理由です」
「このチームが大好きだから、移籍することは考えなかった」(週刊サッカーマガジン1995年8月23日号より)
実は、木村のときと同じように、水沼からも心に残る言葉をもらったのをよく覚えている。引退会見というと、よくある質問(思い出のゲームは? 一番うれしかったゴールは? 家族にはいつ、どんな風に伝えて、どんな言葉が返ってきた? など)が続いて、それが一通り終わると、さあ、盛大な拍手で送り出そう、という雰囲気になる。
ところが突然、「このまま聞きたいことを聞かないままでは、ものすごく後悔するに違いない」と激情にかられた私は、そこから次々に挙手して質問を重ねていった。まるで空気を読んでいなかったようで会見が長引いてしまった。
またしても赤面である。これは偉大なフットボーラーの大事な引退記者会見なのだ。それを余計な質問で台無しにしてしまったではないか。急に怖くなって、会見場を出たところで謝ろうと思って所在なく立って待っていた。
すると、水沼の方から向かってきた。体が硬直した。「たくさん質問してくれてありがとう。引退するのに質問がなかったらどうしようかと心配してたんだよ」。お礼を言われるとは思わなかった。こちらはもう、ただひたすらに頭を下げるしかなかった。
のちに1998年から週刊サッカーマガジンで「水沼貴史のこいつにキラーパス」という連載が始まった。水沼が旬の選手たちにインタビューしていって、素顔をあぶり出していくという内容だ。当時の編集長はこの連載の担当者として、私を指名してくれた。ありがたかった。どんな仕事よりも真っ直ぐに向かっていけた気がする。いや、それはもう「仕事」ですらなく、「仕事以上」のものだった。
ただもう一つだけ、水沼に謝りたいことがある。
この大事な連載のタイトルを、あまりにも安直というか、はっきり言ってかっこ悪いベタなものにしてしまったことを、どうかお許しください。