AFC U-23選手権で未勝利に終わり、森保一監督への逆風が強まっている。結果が出なければ批判を浴びるのは監督の宿命。23年前、サッカーマガジンに日本代表監督への批判が殺到した夜、指揮官は更迭された。

上写真=カザフスタン戦の89分、同点ゴールを決められて引き分け。痛恨の失点に井原正巳は天を仰いだ。数時間後、加茂監督は更迭されることに(写真◎BBM)

最終予選で強まった批判の声

 日本代表とU-23日本代表の兼任で指揮を執る、森保一監督の去就問題が取り沙汰され始めた。昨年来、チームづくりや采配への疑問を指摘する声が挙がっていたが、今回のAFC U-23選手権でのグループステージ敗退で、さらに大きくなっている。

 インターネットには『森保監督 進退問題』の見出しが飛び交い、『秒で辞任しろ』『森保マジ無理』などのユーザーコメントも並ぶ。パソコンやスマホの画面を見ながら、いつの時代も変わらない監督の厳しさを感じるとともに、「時代が変われば、批判も変わるな」と昔を思い出している。
 
 1997年秋、日本代表は98年フランス・ワールドカップ(W杯)出場を目指してアジア最終予選に臨んだ。当時のレギュレーションは、5カ国2グループに分かれてホーム・アンド・アウェーの総当たり戦を行ない、各グループ1位の2カ国がW杯出場。2位同士は第3代表決定戦に進み、勝てばW杯出場。敗れればオセアニア代表との大陸間プレーオフに臨み、勝てばW杯出場で、アジアの出場枠は『3・5』だった。
 
 95年からチームを率いていた加茂周監督は、96年アジアカップで準々決勝敗退を喫したときも批判を浴びたが、続投して最終予選に臨んでいた。韓国、UAE(アラブ首長国連邦)、ウズベキスタン、カザフスタン(現在は欧州連盟所属だが、当時はアジアだった)と同グループとなった日本は、9月7日のホームでの初戦、ウズベキスタンを6-3で破り、9月19日の第2戦はアウェーでUAEと0-0の引き分けと、まずまずのスタートを切る。
 
 だが9月28日の第3戦、グループ最大のライバルと目された韓国をホームに迎えた一戦で、1-2の逆転負けを喫した。1-0とリードしていた73分の交代策が裏目に出て、その後に2失点したことで加茂監督の采配ミスが指摘され、解任すべきとの声が強まっていく。当時の週刊サッカーマガジン編集部にも1日に数本、「加茂をやめさせろ」「サッカーマガジンはどう思っているんだ」といった抗議電話がかかってくるようになった。
 
 第4戦は10月4日、アウェーでのカザフスタン戦だった。日本は22分、DF秋田豊が先制点を決める。だが、その後に何度か追加点のチャンスを逃し、1-0のまま試合は終盤に入った。

22分に秋田がCKから先制ヘッドを決める。だが日本は、その後に突き放すことができなかった(写真◎BBM)

 その日は土曜日で、週刊サッカーマガジンのスタッフだった筆者は取材から戻り、1人で編集部のテレビを見ていた。84分、名波浩に代えて本田泰人が投入される。逃げ切りへの交代策。だが実ることなく、終了直前の89分に痛恨の同点ゴールを決められてしまう。

 日本時間16時ごろ、試合は1-1の引き分けで終了。次の瞬間だった。