FC東京育ちの選手に迫る連続独占インタビューの最終回。大卒1年目のルーキーながらポジションをつかんだ渡辺剛が、J1のラスト2試合に向けて決意を語る。進境著しいCBが考える初優勝への鍵とは?

高校時代も大学時代もいつか東京へ戻ると…

頼れる先輩たちからのアドバイスでのびのびプレーできると渡辺は語る(写真◎F.C.TOKYO)

――渡辺選手の東京に対する思い入れの強さは今年1月の新体制発表の場でも感じました。

渡辺 そうですね。兄の影響でサッカーを始めて、小学校3年生のときに東京のスクールに入りました。それで4年生からアドバンスコースに入ったんです。そこでみんなでFC東京の試合を見に行くようになりました。プレーしている選手を見て単純に「かっこいいな」と思いましたし、観客がいっぱい入っていて、すごいチームだな、と。あのときから自分の中でこのチームが大きな存在になっていきました。

――自分もここでプレーしたいという思いが芽生えたのですね。

渡辺 味の素スタジアムのピッチに立ちたいと思いながら試合を見ていました。でも、プロサッカー選手になりたいとは思っていましたが、自分がここに立っているという将来までは想像できていなかったかもしれません。ただ、サッカーをずっとやっていきたいなと。

――そもそも埼玉出身ですが、東京のスクールに通ったのはなぜですか。

渡辺 最初は親が勝手に(笑)。電車で1時間くらいかけてスクールに通っていましたね。FC東京がスクール生の募集をしていたらしくて、たまたまそれを見たと聞きました。埼玉から東京だけど、深川スクールだったら電車も一本だったので行けなくはないんじゃないかという親の判断で。

――運命的と言えば運命ですね。

渡辺 本当に。他のチームだったらまた状況が違ったと思いますからね。

――U‐15深川に加入しましたが、そこから先は決して順風満帆というわけにはいかなかったと思います。

渡辺 でも苦しいということでもなかったです。ユースに上がれなかったとき、自分の実力がないことは理解していましたから。「どうしようかな」と考えたときもありましたが、同時にまだ自分には可能性があるかなとも思って。

――それはプロになるという可能性?

渡辺 そうです。「プロに行くのはきついな」と思ったことは一回もないんです。高校で盛り返せそうだなと、自分の中では思っていました。だから気持ちが切れることもなかった。

――それは何か武器があると当時から感じていたのか、誰かに可能性を指摘されていたからなのか。

渡辺 僕はポジティブなタイプなので、試合に出られないときも自分の実力がないからだとちゃんとわかっていたし、そもそも落ち込みながらプレーするより気持ち良くプレーした方が良いプレーができると考えています。常に楽しくやらないと、という気持ちを持っていたからジュニア時代の試合に出られない時期も、ユースに上がれなかったときも前向きでいられた。ユースだけが全てじゃないし、山梨学院という強い高校に入れたんだから、そこで活躍できればその先にきっとチャンスがあるだろうと。

――進学した高校時代に、ボランチからセンターバック(CB)にコンバートされます。いま振り返ると、それもまた運命的だったのかもしれません。

渡辺 そう言われてみれば。ただ、中学から高校に入るときに身長が一気に伸びたんです。それでコーチからやってみないかと。センターバックは身長の高い人がやった方が強いというのはわかっていたから、やったらいけるのかなと自分でも思いました。最初はどうプレーすべきか全くわからないし、手探り状態でしたが、ヘディングで競り勝ったり、良い守備ができたときに楽しいなとは感じて。ヘディングを自分の武器にしようと思って、練習はものすごくやりました。

――CBとして成長していた高校時代の渡辺選手にとって、東京はどんな存在だったのでしょう。

渡辺 高校のときも、その後の大学時代も、ずっとFC東京に戻りたいと思ってサッカーをやっていました。常に意識していたチームです。でも、やっぱりビッグクラブなので、そこに戻れるという確証はなかった。いずれ選択肢の中に東京がある状況になればいい、という感じでしたね。

――クラブから欲しいと思われる状況に。

渡辺 自分からアプローチすることでもないし、そのときにいるチームで頑張りたいと思っている中で、そういう未来が来ればと。高校のときは山梨学院で全国優勝することを考えてやっていましたし、中央大学では日本一を取ることを考えてやっていたので。