6月30日、ホームで川崎フロンターレに1-3で敗れたジュビロ磐田の名波浩監督が試合後に辞任を表明。2014年シーズン途中に就任して以来、6シーズンに渡ってチームを率いていたが、今季は勝ち点を積み上げることに苦労し、シーズンを半分を消化して降格圏に低迷。成績不振の責任を取って、自ら退く決断を下した。

上写真=試合後の会見で辞任を表明した名波浩監督(写真◎J.LEAGUE)

ケジメを自分自身がつけなければいけない

 J1王者・川崎Fとの試合を迎えるまでに磐田は16試合を終えて3勝5分け8敗の勝ち点14で、17位と低迷していた。6月25日には小野勝代表取締役社長名義で公式ホームページ上に「ジュビロ磐田を応援してくださるすべての皆様へ」と題した声明を発表し、成績不振について「応援いただいている皆様方に悔しく不安な想いをさせてしまい、心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ございません」と謝罪。今後については、チーム強化のために補強を図るとともに、「チームがこれまで積み上げてきた闘い方、仲間を信じ助け合うチームワークを重視し、この難局を乗り越えていく所存でございます。まだまだ試合は続いてまいります。ジュビロ磐田を応援いただいている皆様方より引き続きのご声援、何卒宜しくお願い申し上げます」と宣言していた。

 名波体制のままリスタートを切るかとも思われたが、川崎Fに1-3と敗れた試合後に、指揮官自ら「辞任する」と発表。2014年9月にシャムスカ監督のあとを受け、チームを率いて6年目を迎えていたが、チームを離れると決断した。

 以下は、試合後の名波監督の会見のほぼ全文となる。

「試合の総括は今日はなしで、できればDAZNさんの監督インタビューを見ていただければと思います。今日の試合は勝とうが負けようが、ここで辞任するのは決めていました。まず、チームの成績がもちろん、上がっていないこと。それから同じ方向性を向いているとは思うのですが、選手たちに気持ちよくサッカーをさせてあげられていないというところ。去年の夏くらいからですけど、この1年間の成績をトータルして、チームとして苦しかった時期に、楽しそうにサッカーをやらせてあげられなかった、そのケジメを自分自身がつけなければいけないと思っています。
 サポーターには常日頃から背中を押していただいて、声援を送っていただいて、まして監督個人のチャントまで毎試合のように歌っていただいて非常に感謝していますし、成績が伴わなかった自分自身の力の無さを痛感しています。これを真摯に受け止めたいと思いますし、一生懸命応援してくれている皆さんには申し訳ない気持ちで一杯だと、今、感じています。
 それから高比良(慶朗)元社長、木村(稔)元社長、小野(勝)社長というクラブのトップの方々、それから加藤久元GM、服部(年宏)現強化本部長、彼らの協力がなければ、僕自身がここで監督ができなかったですし、こんなに長い間、このクラブに携わることができなかったと思うんで、非常に感謝しています。

 それから一番は選手たちへの思いが強いので、替かけがえのない選手たちが、世界に出ていくために、代表選手になるために、もちろん国内リーグで活躍するために色んな努力をしてきましたが、力足らずで申し訳かなかったなと。ただ、彼らのサッカー選手としての生活は、時間はまだまだ終わらないですし、たとえJ2に落ちたとしてもこのクラブも、本人たちも、消滅するわけではないので、真摯にサッカーと向き合いながら、先ほどから何度も言っているように、楽しくサッカーをやる姿を見せてくれればいいなと思っています。

 質問は時間の許す限り、何個でもOKなので、答えられないものは『ちょっとそれは』と言いますので」

試合後にゴール裏に行って何を語ったのか?

以下は記者との質疑応答。

――辞任を決意した時期は?
名波監督 決めた時期? 試合前ではない。もっと前だけど、何日とかは差し控えさせていただきます。
――試合後にサポーターのところに向かったがどんな話を?
名波監督 いや、「名波、来い」という声が多かったので。自分がケジメをつけるということを、「コールリーダー誰ですか?」と言って、手を挙げて拡声器をもった子が下りてきたので「俺はこれで責任を取ってやめるけど、ここからもちゃんとチームを支えてやってくれ」ということを言って、「こういう結果になったのをちゃんと受け止めてください」というふうにお言葉をいただいて。ただ、クラブへの忠誠心があるからか分からないけれど、彼が広めなかったらしいので。俺は「じゃあ、みんなに伝えて」と言って(その場を)離れたんだけど、彼が広めなかったようで、最後までちょっとゴチャゴチャしていましたけど。
――選手たちにはどのように伝えたか?
名波監督 一語一句は覚えていないですけど、これからも前向きにやっていこうということと、いま言ったようなことがほとんどで。僕を慕って入ってくれたり、慕って戻ってきてくれたりした選手がいて、このクラブを、2012年、2013年のようなボロボロな、バラバラなクラブから立ち直らせようという、そういう同志がどんどんどんどん集まったので、そういう思いに対しては、これからも思い続けてほしいし、もっとより良いクラブというか、強いクラブにできなかった申し訳なさはあるということを、伝えました。
――去年は同じような状況になったときは引き留められたが、今回、意思を伝えたときのフロントの反応は?
名波監督 それはノーコメントで。申し訳ない。
――今の思いとしては、やり切ったという思いなのか、心残りがあるのか。
名波監督 そうですね、やり切ったなんて一切、思っていないですけど、自分が監督として就任させてもらってから、何ものにも代えがたいサッカーの日常というか、そういう充実感がものすごくあったので。冒頭に言いましたように、苦しい時期はもちろんありましたけど、選手とともにチームをよくしよう、強くしようというふうに思えた時間が長かった、歴代のジュビロ監督としては一番だなという自負しています。
 ただ、補足になるかもしれないですけど、これからのサッカー人生もまだまだ続きますし、昨日、あるJリーグの監督の人に、これを伝えたときに「まだやるよな」と言われて、即答で「いや、やります」と即答で答えたので。これは決して失敗だとは思っていないですし、自分が成長するための素晴らしい時間だったし、この掛け替えのない時間を、次にまたプラスアルファに変えていかないと、何の意味もないと思う。そういう気持ちで、今はいますね。なので、何日前とは言わないですけど、決めてからここまで一切、泣いては、いや一切泣いてはいないことはないな。今日の朝、大分とやったあの昇格が決まったJ2のラストゲームを見て、あれでちょっと泣きましたけど、それ以外は一切泣いていないので、選手と話そうが、スタッフと話そうが、社長、それから強化部と話そうが。 あと、もう一つ補足していいですか。今の質問とはかけ離れていますが、大分戦で思い出したんですけど、監督を辞任する一つの要因として大分戦の感動というのは、ここにいる皆さんもご存じの方が多いと思うんですけど、あれ以上の感動を生み出せなかったと。あれ以上に感動するようなゲームを、もっともっとたくさんサポーター・ファンの皆さんに見せられていれば、こういう決断にはなかったと思う。そこは初めて使う言葉かもしれないですけど、「悔しかった」ですね。

勝たせる監督ではなかった

――現役時代、そして監督として過ごしたジュビロへの思いを。
名波 在籍年数の長さもさることながら、自分をサッカー人として育ててくれたのはこのクラブだと思っているので。ただそれを還元しようなんていう、そんなおこがましいことを言いながら監督に就任したわけではなくて、サッカー人として、自分が監督をやっているクラブを、強くしたい良くしたいということを常に念頭に置きながら最前線で戦ってきたと思います。そういう思いでしかないかなと。そういう思いで、選手やスタッフと接することができたんじゃないかなとは思っています。
――ジュビロ磐田とは、名波監督にとってどんな場所だったか。
名波 そうですね、今日、すべてをさらけ出す、そういう試合後の対応をしようと心に思っていたので、だからイの一番にゴール裏に行って、謝罪もしましたし、次からの期待もサポーターの方にも求めました。すべてをさらけ出すという意味では家族も、今日は来ていたので。6歳の子とか9歳の子が、あの姿を見て、どう感じたのかなと思いながらも「パパはこういう職種だよ」ということを見せたことが、今後の自分のサッカー人生はもとより、家族の絆にもなってくれればいいなということですかね。
――およそ5年間を振り返って、監督として自分をどう評価するか。
名波 チームマネジメントは、非常に自分自身も自信を持っていますし、コミュニケーションというところでも、ほかの監督で比べると、自分が見学に行かしていただいたとか、自分が現役のときの監督とか、代表チームの監督か、そういうのも含めてですけど、比較対象がそれぐらいしかないとしても、そのへんは悪くなかったのではなくて、良かったと自分では思っています。ただ、昨年の末に服部強化本部長や当時の木村社長にも言いましたけど、勝たせる監督ではなかったと。そこは自分の今後の課題だと思っています。

取材◎佐藤 景 写真◎J.LEAGUE