※写真上=日立の中盤の一角で活躍した久米氏の現役時代
写真◎BBM

 清水エスパルスの取締役副社長兼ゼネラルマネジャー(GM)で、Jリーグの初代事務局長も務めた久米一正氏(享年63)の告別式が4日、都内でしめやかに営まれた。川淵三郎・Jリーグ初代チェアマン、田嶋幸三・日本サッカー協会(JFA)会長、西野朗・前日本代表監督などサッカー関係者が多数参列し、日本サッカー界に確かな足跡を残した故人との別れを惜しんだ。

Jクラブの強化職を歴任

 久米氏は1955年に静岡県で生まれ、浜名高-中央大を経て1978年に柏レイソルの前身・日立製作所に入社。中盤で動き回って攻守に貢献する左利きのMFとして活躍し、日本リーグ(JSL)には同年から8シーズン登録され、通算132試合に出場、11得点・23アシストの記録を残している(プレーぶりは写真参照)。現役引退後の91年にJFAに出向し、JSLの事務局長に。92年にはプロ化に向けて動き始めたJリーグに出向、初代の事務局長のほか、総務主事も務めた。

 その後、96年に柏の取締役強化本部長に就任して以降はJクラブの強化職を歴任。清水の取締役強化育成本部長、名古屋グランパスのGM、社長などのほか、並行してJFAの特任理事、強化技術委員・国際マッチメイク委員なども務めた。今年1月に取締役副社長兼GMとして清水に復帰していたが、11月23日に大腸がんのため亡くなった。
 

日本サッカー界におけるGMの先駆けだった久米氏(写真は名古屋時代) 写真◎J.LEAGUE PHOTOS

 前日の通夜に続いて久米家と清水エスパルスの合同葬として行なわれた告別式では、Jリーグ創設期に久米氏とともに尽力した川淵三郎・Jリーグ初代チェアマン(JFA相談役)が最初に弔辞を読み上げた。川淵氏が明かしたのは、Jリーグの優勝クラブに贈られるシャーレが、久米氏によって準備・調達されたというエピソードだった。
 
 優勝クラブの象徴として、テニスのウィンブルドンの優勝シャーレをイメージした川淵氏が「同じようなものを用意したい。メーカーを探し出し、制作させてきてほしい」と久米氏に依頼し、渡欧した久米氏が具現化したのだという。告別式の後には「優勝シーンでは、いつも『あれは久米が持ってきたものだ』と思い出す。皆さんもシャーレを見て、久米を思い出してくれたら」と語り、「相当に体調が悪いなか、少し前に名古屋で会ったときも、そんな素振りは見せなかった。まさか、こんなに早く逝くとは夢にも思わなかった。本当に残念」と逝去を惜しんだ。

久米氏とJリーグ優勝シャーレのエピソードを明かした川淵氏

 次に弔辞を読み上げた西野朗・前日本代表監督は、日立に同期入社した仲で、「初めて会ったときから、お前ほど元気で、エネルギッシュで、タフな男はいないと思っていました。お前だけは不死身なんじゃないか、そう思っていました」と語りかけた。高校、大学時代は対戦相手としてマークされ、日立入社後はチームメイト、その後は監督と強化責任者としても、ともに歩んだ道のりを振り返り、「そっちに行って、少し楽になって、もう一度思い切りボールを蹴ってください」と労った。

 告別式の後には瞳を潤ませながら、「同い年なんでね。社会人になって同じチームになり、ずっと一緒にやってきて、同じポジションで。弔辞なんか読めるわけないですよね、この歳で」と残念がった。生前のアグレッシブな姿を思い出し、あらためてパワーをもらったのではないか、との報道陣の問いには、「こんなに早くもらいたくはない。一番の元気印で、(大腸がんの手術から)復帰したときは、『お前はやっぱり不死身だ』と思った。でも(病気には)勝てなかったですね」と無念の表情を浮かべた。

盟友の死を「早過ぎる」と惜しんだ西野氏

 田嶋幸三JFA会長は告別式の後、「久米さんは私の2歳上で、中央大学と(田嶋氏が在籍していた)筑波大学で定期戦をやっていて、相手にするには嫌な選手、素晴らしい選手でした」と現役時代を振り返った。田嶋氏の会長就任後は「僕たちの世代では、なかなかいないが、『ここと、ここと抑えておかないとダメだぞ』『ここに根回ししないとダメだぞ』と言ってくれて、助けてくれました」という。

 大学時代の対戦を振り返り、「すごく気の強い方だった。僕は2歳下で、少しチヤホヤされていたこともあったので、きっと久米さんは虫が好かなかったんでしょう。ずいぶん蹴られたりもしました。でも、いい思い出です」というエピソードも。最後には「ああいう方がいなくなるのは、サッカー協会にとっても大きな損失。ありがとうございます、という言葉しかありません」と故人を偲んだ。

2歳年上の久米氏との思い出を語るJFAの田嶋会長

 祭壇は、強化担当を務めた清水のオレンジ、柏の黄色、名古屋の赤、さらに日本代表を思われる青と、サッカーボールをかたどった花で埋め尽くされた。各地から多くのサッカー関係者が詰めかけ、多方面で活躍した故人との最後の別れの時を過ごした。

取材◎石倉利英