浦和レッズOBの永井雄一郎と鈴木啓太が5月6日、さいたま市内のショッピングモール「ウニクス浦和美園」でトークショーを行ない、現役時代から今のチームまでの秘話を明かした。

「(大槻さんは)本当はああいうタイプじゃない」

 鈴木は1999年に東海大一高(現東海大静岡翔洋高)から浦和へ加入する前のエピソードを披露。当時、J1残留争いするチームをはらはらドキドキしながら見ており、2000年の2ndステージ最終節はU-19日本代表合宿中にチェックしていたという。グラウンドから宿舎に戻るバスの中でラジオに耳を傾けたことを今でもはっきりと覚えていた。その車中には浦和とJ1残留を争っていたジェフユナイテッド市原(現千葉)の阿部勇樹(現浦和)、佐藤寿人(現名古屋)らもいた。

「彼らとどちらかが(J2に)落ちるなと話していたんです」

 結果は周知の通り。代表のチームメイトたちからすぐに励まされた。
「浦和でJ2、頑張れよ」と。いまだから笑って話せる話もプロ入り前の高校生にとっては深刻な問題だった。

 懐かしそうに昔を思い出す鈴木の横で、永井は「落ちないでほしいと願っていたんだ」とぽつり。初のJ2降格が決まった「11・27」の当事者はさばさばと鈴木に突っ込み、会場の笑いを誘っていた。

「涙のVゴールね。(残留と)勘違いしてロボ(池田学)さんが福田(正博)さんに抱きつきに行って、手を払われて(笑)」

 2007年のACL初優勝を経験した2人は、11年前のこともしみじみと振り返っていた。

「浦和で一番、幸せなシーズンだった。1月1日に天皇杯で優勝して1年が始まり、ACLを制覇。あのチームは本当に強かったと思う」

 大会得点王に輝き、MVPも獲得したレジェンドの言葉には会場に詰めかけた人たちも思わず聞き入っていた。

 キャプテンマーク(主将の山田暢久は決勝を欠場)を巻いて、優勝トロフィーを一番に掲げた鈴木にとっても忘れられない思い出だ。

「チームとして、すごくまとまっていたから」

 昔話に花を咲かせた後は、今の浦和についても触れた。暗くなりかけた浦和サポーターに明るい話題を振りまいた大槻毅暫定監督(現ヘッドコーチ)とは、2人とも旧知の仲。06年から10年までは分析担当を務めており、コーチと選手の関係でともに時間を過ごしたこともある。

「アウトレイジ(笑)。本当は、あういうタイプではないのに……。チームのためにイメージを変えたのかな。僕らの頃は柔らかい人だったので。そうでしょ?」(永井)
「チームのためですよ。ただ、昔からオールバックには憧れを持っていました(笑)。元イタリア代表監督の(チェーザレ・)プランデッリが好きで、ずっと『かっこいい』と話していたので」(鈴木)
「ふーん、そうなんだ。プランデッリの髪型は知らないけど(笑)。アウトレイジでしょ」(永井)
 
 トークショーを聞きながら、思わずヒザを打った人は一人や二人ではないはず。「へえー」という声も聞こえてきたような……。

 OBらしく、最後はオズワルド・オリヴェイラ新体制への期待も口にしていた。2人ともかつての盟友にエールを送った。

「同じ年の阿部の仕事は重要になってくる。チームをまとめる力があるので。精神的な支柱となってほしい」(鈴木)
「僕も同じ年齢(1979年生まれ)で、まだ第一戦で戦っているからヒラ(平川忠亮)には頑張ってほしいと思う」(永井)

取材◎杉園昌之